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店主:有村 英仁(HIDEHITO ARIMURA)
<私のプロフィール> ・1983年、ヴラディミール・ホロヴィッツ初来日時のTV放映で彼のワインレッドのボウタイを目にしたことにより、手結びボウタイを知る。 ・1989年の彼の死をきっかけに翌年の1990年、彼の影を追い求め、自身もボウタイ愛好家となる。 ・2009年6月、ボウタイコレクションが100本を突破した直後、自ら鍵盤を3列水平ウェービング状にデザインした“ホロヴィッツU.S.デビュー80周年記念カルメンボウタイ”がシカゴのROBERT DASKAL社で製品化され、最初の1本をホロヴィッツの調律師だったフランツ・モアさんに送り、大変喜ばれ、そのボウタイとともに映った画像が送られて来る。 ・2010年5月、当“ホロ爺のボウタイショップ”WEBを立ち上げ、通販を開始、“ホロ爺ブログ”を始める。 ・2011年7月、ホロヴィッツが1970年代後半から1982年まで愛用していた鍵盤柄の"HOROWITZ 1977"復刻の夢が叶う。以来、数々のピアニスト、ホロヴィッツファンに愛用されると同時に、新製品をマイペースで発表し続け今日に至る。 *生まれ/鹿児島県 その後、旭川市、長崎市、那覇市、福岡市、浜松市、延岡市、宮崎市などを回りました。 |
スワロフスキー・ボウタイ・シリーズ発売にあたって 2012年、2番目に発表いたします新製品のボウタイは、スワロフスキー・ボウタイ・シリーズになります。“ボウタイ左右のエンディングに、クリスタルなスワロフスキー・ラインストーンが1粒ずつ配置され、この上なく高貴で美しい光を放ちます。 今や世界中で愛されているこのスワロフスキーは、フランスでは18世紀前半には登場していたボウタイから150年以上経った1895年にオーストリアのチロル地方に誕生しました。さらにそれから、100年以上経過した今、ボウタイとスワロフスキーはホロ爺のボウタイショップで出会ったことになります。 スワロフスキーが何故、他のクリスタルガラスよりもあんなに綺麗に輝くのかを御説明しますと、そもそもガラスは、ケイ石、石炭、ソーダなどを高温で溶かし、混ぜ合わせ製造しますが、これに酸化鉛を加えることにより、クリスタルガラスが出来上がります。クリスタルガラスは酸化鉛を8%程度以上含んだものをクリスタル、24%程度以上含んだものをフルクリスタルと言います。スワロフスキー社では酸化鉛を32%含んだ、透明度の高いフルレッド・クリスタルと呼ばれる最高級のクリスタルを製造しており、つまり、酸化鉛の含有量が上がるほど透明度や光の屈折率が高くなり、輝きを増すのです。 さて、このスワロフスキー・ボウタイは、多くの演奏家やパフォーマーの方々に是非とも、各地のステージの上で着けていただきたいボウタイです。想像してみて下さい。あなたの紡ぐ音と共に、あなたの襟元から、会場の一番後ろの席まで届く様々な色の混ざったクリスタルな輝き。妄想家の私の頭の中は、思わず世界中のコンサートホールへと瞬時にワープしてしまい、そのステージの上でステージライトを反射してきらめいている光景が鮮明に脳裏に浮かんできてしまったのです。ニューヨークの“音楽の殿堂”・カーネギーホール、ウィーン・フィルの本拠地1870年完成のヴィーナー・ムジークフェライン(ウィーン楽友協会大ホール)、ベルリン・フィルの本拠地・ベルリン・フィルハーモニー、パリのアール・ヌーヴォー様式建築のシャンゼリゼ劇場、1888年設立で音響抜群のオランダのコンセルトヘボウ、ロンドンのテムズ川南岸の座席数2,900席のロイヤル・フェスティバル・ホール、そして日本クラシック音楽の殿堂・サントリーホール。世界で名立たるこれらの名コンサートホールのステージで放たれる光をイメージしたその光の色彩からスワロフスキーストーンの種類をセレクトしました。そうです。今回の新製品は、全部で7つのコンサートホールに因んだ名前を付けました。 これらスワロフスキー・ボウタイが、実際にそのホールのステージに登る日は果たしていつでしょうか、そして、どなたが連れて行かれるのでしょうか、またまた夢が膨らんできました。その日を心待ちにしております。 2012年2月27日 ホロ爺のボウタイショップ 代表 有村英仁 |
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