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店主:有村 英仁(HIDEHITO ARIMURA)
<私のプロフィール>
1983年ヴラディミール・ホロヴィッツ初来日時のTV放映で彼のワインレッドのボウタイを目にしたことにより、手結びボウタイを知る。
1989年の彼の死をきっかけに翌年の1990年、彼の影を追い求め、自身もボウタイ愛好家となる。
2009年6月、ボウタイコレクションが100本を突破した直後、自ら鍵盤を3列水平ウェービング状にデザインした“ホロヴィッツU.S.デビュー80周年記念カルメンボウタイ”がシカゴROBERT DASKAL社で製品化され、最初の1本をホロヴィッツの調律師だったフランツ・モアさんに送り、大変喜ばれ、そのボウタイとともに映った画像が送られて来る。
2010年5月、当“ホロ爺のボウタイショップ”WEBを立ち上げ、通販を開始、“ホロ爺ブログ”を始める。
2011年7月、ホロヴィッツが1970年代後半から1982年まで愛用していた鍵盤柄の"HOROWITZ 1977"復刻の夢が叶う。以来、数々のピアニスト、ホロヴィッツファンに愛用されると同時に、新製品をマイペースで発表し続け今日に至る。

*生まれ/鹿児島県
その後、旭川市、長崎市、那覇市、福岡市、浜松市、延岡市、宮崎市などを回りました。


‘50sヴィンテージスタイルのエレファント・パピヨン2種発売にあたって



さて、今度のエレファント・パピヨン(通称エレパピ)は、オールドファンお待ちかねの1930年〜1950年代の欧米で流行したレトロモードな剣幅1.5インチ(約4cm弱)と小ぶりで、タイの両端にカーブのないストレートのヴィンテージスタイルのボウタイとなります。

50年代終盤生まれの店主は、このスタイルのボウタイと言えば、やはり、第2次世界大戦に勝ったアメリカが飛ぶ鳥落とす勢いで、他国からも羨望の眼差しで見られていたあの時代、強大で裕福な国力が国民の生活をも潤し、大型車、便利な家電品が開発され、大量消費社会がより、贅沢を追及していく中、娯楽においても、ワイドスコープである「シネマスコープ」が1953年に開発されて、映画館は大衆文化となり、ハリウッドを中心とした映画産業がその絶頂を極めていた時代の20世紀フォックス、MGM、パラマウントなどの巨大な映画会社が製作し、1950年代にその黄金期を迎えた多くのアメリカン・ムービーの中に登場して天然でカラフルな「テクニカラー」で見た、粋で、いなせで、小ざっぱり(Dapper)したスーツスタイルに、このレトロモードな幅細なボウタイが締められていた場面を数多く見掛けた気がします。巴里のアメリカ人、上流社会、雨に唄えば、そして、個人的に大ファンのヒッチコックの50年代の作品の裏窓、めまい、ダイヤルMを廻せ!、北北西に進路を取れ、マリリン・モンローの出演作品のお熱いのがお好き、七年目の浮気、バス停留所など、50年代の作られた古き良き時代のムービーは数知れません。

ところで、この幅細のボウタイを、店主の私が生まれるまだずっと前の1930年代に愛用していた人がいました。サー・チャールズ・チャップリン。1931年の「街の灯」の中で、全編に渡って、とてもよくマッチングしたボウタイ姿を見られます。チャップリンは、プライベートにおいても手結びボウタイを締めた写真が数多く存在しますが、いずれも素晴らしい結び上がりで、相当なおしゃれと推察でき、私共今日のボウタイウェアラーの模範とするところです。子供の頃の1970年頃に、長崎市の映画館で、父とチャップリン3本立ての「ライムライト」「独裁者」「モダンタイムス」を観たことを思い出します。浜の町の繁華街の違う映画館の入り口には、ビートルズの"LET IT BE"のでっかい手描きポスターが飾ってあった記憶がよみがえりました。ファッションも音楽もそのモード・スタイルというのは、瞬時でその当時の自分にタイムスリップさせてくれます。



今回、この幅細の‘50sヴィンテージスタイルのエレファント・パピヨンを2種発売いたします。 1つは、先に逝去されたタイのプミポン国王のご生誕記念のイエローの「ラーマ9/ Rama IX」、もう一つは、真っ赤の「エレファント・パピヨン#5」です。 今後、この‘50sスタイルは、ブラックタイなどにも導入予定です。

2016年12月4日
ホロ爺のボウタイショップ
代表 有村英仁