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店主:有村 英仁(HIDEHITO ARIMURA)
<私のプロフィール>
1983年ヴラディミール・ホロヴィッツ初来日時のTV放映で彼のワインレッドのボウタイを目にしたことにより、手結びボウタイを知る。
1989年の彼の死をきっかけに翌年の1990年、彼の影を追い求め、自身もボウタイ愛好家となる。
2009年6月、ボウタイコレクションが100本を突破した直後、自ら鍵盤を3列水平ウェービング状にデザインした“ホロヴィッツU.S.デビュー80周年記念カルメンボウタイ”がシカゴROBERT DASKAL社で製品化され、最初の1本をホロヴィッツの調律師だったフランツ・モアさんに送り、大変喜ばれ、そのボウタイとともに映った画像が送られて来る。
2010年5月、当“ホロ爺のボウタイショップ”WEBを立ち上げ、通販を開始、“ホロ爺ブログ”を始める。
2011年7月、ホロヴィッツが1970年代後半から1982年まで愛用していた鍵盤柄の"HOROWITZ 1977"復刻の夢が叶う。以来、数々のピアニスト、ホロヴィッツファンに愛用されると同時に、新製品をマイペースで発表し続け今日に至る。

*生まれ/鹿児島県
その後、旭川市、長崎市、那覇市、福岡市、浜松市、延岡市、宮崎市などを回りました。


☆トンボウタイ発売にあたって


2025年5月の事、ベトナムのホイアンを訪れる話が突如、持ち上がりました。そして、真っ先に頭に浮かんだのはベトナム女性が着る綺麗なアオザイ、そのシルク生地が生産されているはず、と、いつものように、訪れて探索する自分を想像し、行く気満々でいたのですが、当日、どうしても都合がつかず、私の家族が行くことになり、今回のベトナムシルクの探索は私の家族の手に委ねられることになりました。出発するまでに、私は9年前のバンコクへのタイシルク発掘旅行の時と同じようにホイアンにあるテーラーをネットで調べ、興味ある3件のショップにメールを送ってみたのですが、いずれも返信が無く、自社のホームページに来た問い合わせメールに返事もせずに実にいい加減なのか、または英語が読めないのか、不可思議に思ったまま出発の日が来てしまいました。今回は行き当たりばったりの運に任せることにしました。それもまた楽しからずや!

 

ネットや旅行ガイド雑誌で調べたホイアンは16〜19世紀に栄えた国際貿易港で、旧市街全体が世界遺産に登録されていて、中国、日本、フランスなどの影響を受けた独特な建築が残り、特に夜には色とりどりのランタンが灯され、幻想的な街のようです。

 

ダナン入りした家族より早速、観光地の写真が送られてきました。

 

そして、ダナンからバスと船に乗って1時間のホイアンの地からついに待ちに待った画像が入りました。シダ植物や蝶、トンボが描かれたアオザイ用のシルク生地の写真が沢山!中でも特に私は幼少の頃から大好きだったトンボ柄のシルクにしばし目が釘づけになり、早速、買って帰るよう伝えました。

 

任務終了した家族から送られてきたホイアンのとても幻想的で美しい夕方と夜の街並みの画像です。

 

後日、手にしたシルクを実際に目にして手触りを感じると、タイシルクとは全く趣を違にしていることがわかりました。織柄のトンボが見る角度にによって微妙に色彩が変わって絶妙な美しさを見せるのです。その感動は、私が幼少時代に育った北海道の旭川市で初めて遭遇したルリボシヤンマの神秘的な瑠璃色の眼玉の色に感動したことを思い起こさせました。以前、ホロ爺ブログに書いた ”ルリボシヤンマの想い出”をご覧ください。

 

感動とともに手結びボウタイに縫製し、早速、その画像をホイアンのこのシルクの販売元にメールで送り、今後の生地供給の約束を取り付けました。
 

#1/ルリボシヤンマ

#2/シオカラトンボ

#3/ハッチョウトンボ

#4/アキアカネ

 

今回、大好きなトンボ柄のシルクを見つけてきてくれた家族に感謝し、出来上がったボウタイに”トンボウタイ/TOMBOW TIE”と名付けました。慣れ親しんだルリボシヤンマ、シオカラトンボ、ハッチョウトンボ、アキアカネの4種類です。私同様、トンボをこよなく愛好するボウタイウェアラーの方に愛用されますことを願って。



令和7年11月13日
ホロ爺のボウタイショップ
有村 英仁